山わんこ ボクの足あと🐾

山登りを中心に、旅行等で訪れた色々な場所のご紹介をします

笹子雁ヶ腹摺山から武田家終焉の地を歩きました

JR中央線・笹子駅
今日訪れるのは、山梨県大菩薩山塊の笹子雁ヶ腹摺山です。



駅から少し歩いた所にこの看板。



みどりやといって、笹子餅を販売しているのですが、お店というより工場というか作業場の軒先みたいな所で売っていました。



今日は笹子には戻って来ないので、先におみやげを買いました。



登山口は新中橋バス停。駅から歩いて行く人もいますが、30分はかかるので上手くバスを利用した方がいいと思います。



バスを降りて本当に登山口はすぐです。
さて、今日の山は「ささごがんがはらすりやま」と言います。長い名前ですね。
山梨県大菩薩山塊には、「雁ヶ腹摺山」は3つあります。今日の山の他に、「牛奥ノ雁ヶ腹摺山」、何も付かない「雁ヶ腹摺山」。何も付かない雁ヶ腹摺山は、山頂から見える富士山が昔の五百円紙幣のデザインにされた山として知られています。名前の由来は、渡り鳥の雁がこの山をお腹を摺るようにして飛んでいったからなのだそうです。



しばらくは杉林の中を歩きます。



送電線鉄塔が現れます。



登りが続きます。



「水造」?何でしょうか? コース中に何カ所かありましたが、何か分かりません。



落葉した木々の間から山頂が見えます。



延々と登り。山頂までずっとこんな感じでした。



大量に積もった枯れ葉。



何やら見えてきました。



反射板か何かでしょうか。



ふと振り向くと富士山❗



今日の天気、スッキリした快晴ではないので、富士山が見えるかどうか心配でした。いい状態で見れて感激です。



そして、どうやら山頂に到着したようです。



笹子雁ヶ腹摺山 標高1357.7m



山頂の様子です。決して広くはありません。



展望はどうなのでしょうか。今は落葉の後なので見晴らしはいいですが、生い茂っている夏などはあまり景色が見れないかもしれませんね。



富士山です。先程の方がいいかな。



では山頂を後にして、次に向かいましょう。この後のコースは、
米沢山~お坊山~大鹿峠を縦走し、景徳院に下山します。景徳院は、戦国時代の武田家終焉の地です。



大きく下ります。



雪が降った跡ですね。



振り向くと、先程の笹子雁ヶ腹摺山。



これから向かう山です。



アップダウンが多かったです。大きく下り、



大きく登ります。



少し岩が出てきました。




鎖場出現です。



続いてロープ。



再び鎖場。
スミマセン。写真には撮れませんでしたが、この後かなり急で危ない鎖場がありました。
要注意です❗



山頂のようです。



米沢山 標高1357m



あまり展望はありません。



次に向かいます。



少し展望が開けます。



途中にあった小ピーク。標識はありませんでした。
トクモリ 標高1412m



少し展望。三つ峠方面だと思います。



山頂のようです。



お坊山 標高1421m
今日の最高峰です。



見晴らしの具合は今日の中で一番いいです。雲が掛かっているので写真ではよく分かりませんが、八ヶ岳方面が見えました。



こちらは南アルプスです。



では下山しましょう。



もう、これまでのような激しいアップダウンはありません。



枯れ葉の積もった登山道。



枯れ葉のラッセルです。



大鹿峠
景徳院と南大菩薩方面への分岐点。



枯れ葉の積もった登山道を歩きます。



景徳院に向かって。



何かが見えてきました。



田野氷川神社



もう下界です。



鹿よけゲートです。



登山道は終わりです。



景徳院
登山口のすぐそばにありました。



ここは武田家の最後の武将・武田勝頼終焉の地なのです。



三七歳の若さで自刃した武田勝頼のお墓があります。



境内に上がります。



武田勝頼生害石
勝頼が自刃した場所です。



妻・北条夫人の生害石
彼女は勝頼の後妻で、まだ十九歳でした。



嫡男・信勝の生害石



こちらはお墓です。



景徳院の山門



本堂
景徳院は徳川家康が武田家を弔うために建立したお寺でした。



景徳院を後にして甲州街道を歩きます。



JR中央線・甲斐大和駅
ゴールです。
歩行時間5時間55分



駅前に立つ武田勝頼像


閲覧ありがとうございました。コースタイム詳細はHPをご覧ください。


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