春の岩殿山を訪ねて
JR中央線・大月駅
ここから富士急バス 日影行きに乗車します。
自動車教習所前バス停
乗車時間は10分程度でした。
今回登る山
岩殿山
山梨県大月市の山で、昔買ったヤマケイ・アルペンガイドでは、大菩薩山塊の山の一つとされています。標高が東京スカイツリーと同じ634メートルです。
随分昔、秋口に登ったことがあり、その時はあまり印象に残りませんでしたが、山友から「春登ったらイカリソウが沢山咲いていて良かったよ」と聞き、季節を変えてもう一度登ってみようと思っていました。
登山口はバス停から少し歩いた所にあります。
カウンターを押して出発です。
歩き始めてすぐに花を発見❗
イカリソウです。山友が言ったとおり。と、イカリソウが見られたのはここだけで、沢山咲いていたとはいきませんでしたが。
八重桜が咲いています。
神様を参拝します。
フデリンドウを発見。今日はこの花が沢山見られました。今の時期の花の中で、好きな花の一つです。秋に咲くリンドウよりも小さな花なので、注意しないと見落としてしまうような花です。
山頂を目指して歩きます。
なかなか傾斜あります。
山頂近くに鎖場がありました。
山頂に到達です。
岩殿山 標高634m
山名の記された標識はありません。
本丸跡と書いてあります。この山は戦国時代に岩殿城があり、山頂は本丸だったのです。
展望はとくに良くありません。NHKの電波塔があります。
では、次に向かいましょう。
ツツジが咲き始めています。
岩殿城。もちろん建物は残されていませんが、大掛かりな山城だったと思います。
また八重桜が咲いています。
東屋があります。
岩殿山展望所
山名の標識がありますが、山頂ではありません。
岩殿城の歴史
城主は小山田信茂で武田家に仕えていましたが、武田勝頼の時、衰退した武田家を見限り、織田信長に仕えようとします。しかしそれが「とんでもない不忠者だ」と逆に信長の怒りを買い、信茂は捕らえられて処刑されていまいます。これにより岩殿城は織田軍の手にかかり落城することになりました。
展望です。ボンヤリと富士山が見えます。
更にコースを進みます。
大きな岩に囲まれた道。自然の要塞❗ 岩殿城、さぞ難攻不落な山城だったと思います。
鎖とロープで下ります。
ここは岩殿城の入口。城跡はここまでのようです。
フデリンドウ、一輪咲いています。
送電線鉄塔です。
少し視界が開けます。あそこに見えるのは岩殿山でしょう。
分岐です。
どちらに行っても次に向かう稚児落しに行くようです。
クサリ場の方を選びました。
その鎖場の様子。なかなかです。自信のない人はもう片方の林間コースを歩いた方がいいでしょう。
登りきって、大月市内が見えます。
今度は下りの鎖場。これもなかなかでした。
岩殿山が見えます。
天神山 標高590m
途中にあったピーク。送電線鉄塔が立っていますが、とくに展望はありません。
しかし、ここではフデリンドウが沢山咲いていました。
少し離れた所に神様です。
中を覗くと、これは天神様でしょう。それで天神山というのかもしれません。
何か、スゴイ絶壁が見えてきました。これが今日最後の目的地である稚児落しです。
階段状の道を行きます。
そして到着です❗
稚児落し
岩殿城の城主・小山田信茂を失い、織田信長の軍勢に追われた側室・千鳥姫と次男・賢一郎一行がここに逃げ延びます。しかし乳飲み子だった万生丸が泣き出したため、護衛の小幡太郎がここから投げ捨てた。これが名前の由来のようです。
とにかく大絶壁です。真下を撮影する勇気、ありませんでした (-_-;)。
大月市内が見えます。
岩殿山です。
では、下山しましょう。
ツツジが綺麗です。
木々の間から、先程の稚児落しが覗きます。
下界が見えます。
また鎖場がありました。
鉄階段を下ります。
マムシグサです。
下界、大分近づいてきました。いえ、もう殆ど下界です。
山道ですが、全くといっていいほど傾斜ありません。
ここでも咲いていたフデリンドウ。
民家に出てきました。
橋を渡ります。
浅利登山口
下界です。
上を走るのは中央道。
間もなく大月駅です。跨線橋を渡ります。
跨線橋の上から見える岩殿山。
駅前商店街。シャッターが閉まっています。
JR中央線・大月駅
ゴールです。
歩行時間3時間12分
大月駅ホームからも岩殿山が見えます。大月の人たちにとって馴染みの深い山です。
閲覧ありがとうございました。コースタイム詳細はHPをご覧ください。
YAMAPの活動日記です。
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