渋沢栄一の里 深谷市探訪
今日は山岳サークルの歴史探訪に出かけました。
訪れたのは埼玉県深谷市。日本経済の父で、一万円札の肖像になった渋沢栄一生誕の地です。
深谷駅の駅舎。綺麗なレンガ造り。
駅前に立つ渋沢栄一の銅像。
渋沢栄一の新紙幣で、深谷市内、盛り上がっています。
市内からは赤城山が見えます。
大谷家住宅
深谷町長・大谷藤豊の邸宅で、国有形文化財とされています。大谷藤豊は、昭和初期の大恐慌の際、人々のために「お助け普請」を行い、手間賃や食料を与えていました。
こちらは個人宅のため、敷地内立入禁止。
深谷商業高校
深谷商業高校の旧校舎。大正期の木造校舎が完全な形で残されています。
敷地内には、渋沢栄一によって植栽された松が残されています。
渋沢栄一翁 御手植えの松
深谷城址公園
深谷城は康正2年(1456年)に作られた深谷上杉氏の居城。
城址は公園として整備されています。
こちらは城址公園に隣接する小学校ですが‥‥、
その校庭にも「深谷城址」の石碑が。大きな城だったようです。
旧渋沢邸「中の家」
「中の家」と書いて「なかんち」と云います。渋沢栄一の生まれた家。
若き日の渋沢栄一の銅像。
中では渋沢栄一のアンドロイドが色んなお話をしてくれました。
血洗島諏訪神社
旧渋沢邸から歩いて5分の場所にある、渋沢栄一ゆかりの神社。
こちらは境内にある栄一の喜寿の碑。村民によって建立された物です。皆から慕われていた栄一の人柄が分かりますね。
渋沢栄一記念館
平成7年に開館した、渋沢栄一に関する資料が展示されています。
館内は撮影禁止でしたが、私たちがグループだったこともあり、河田さんという方がていねいに説明してくれました。
記念館の裏に立つ渋沢栄一の銅像。河田さんによると、「栄一は徳川家康が祀られている日光東照宮の方を見ているのです」ということです。
尾高惇忠生家
尾高惇忠は、渋沢栄一の従兄であり、学問の師でもありました。後に富岡製糸場の初代場長や銀行の支店長などになり、栄一の人生に大きな影響を与えた人物でした。
こちらでは小名木さんという方が説明をしてくれました。
誠之堂・清風亭
渋沢栄一が頭取となった第一銀行によって建築されました。銀行の保養所「清和園」内でクラブハウスのように使われていました。元々は東京の世田谷区にありましたが、取り壊しの危機に瀕し、この深谷市に移築されたのです。
ヨーロッパの様式を取り入れながらも東洋的な美も盛り込まれ、そのバランスが見事だと云われています。
こちらでは土屋さんという方が説明をしてくれました。
ちなみに、これらの施設はいずれも見学無料。にもかかわらず丁寧にガイドをしてもらって感激。深谷市の人たちの町おこしへの意気込みが感じられました。
閲覧ありがとうございました。







































このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。